きのうの続きのような話…。
付録付きの月刊誌「小学1年生」の購入は3年生あたりで少女マンガ「なかよし」や「りぼん」に移行したと思われる。
そもそもわたしの初めてのマンガ本は、買い与えられた手塚治虫の「リボンの騎士」だったように思う。きれいなカラーページ付きの大判の装丁だった。
(手塚治虫のアニメ「W3」(モノクロ)を観た記憶があり、やはり手塚治虫はわたしにとってもマンガの神様のような位置にある。)
「りぼん」「なかよし」の他に「マーガレット」や「少女フレンド」「少女コミック」などの少女マンガ雑誌も手当たり次第に読んでいた。(ちなみに「花とゆめ」は、わたしが小4の時の創刊である。「ちゃお」は中1の時に創刊。)
当時、色々なマンガは買わずとも親戚の家などから回ってくるのだった。
兄はもちろん少年マンガを読んでいたから、週間・月刊「ジャンプ」「マガジン」「サンデー」「チャンピオン」「キング」など、わたしもひと通り読んでいた。
壮大なドラマから、ギャグマンガ、楳図かずお(大好き)、水島新司の野球マンガ…どんなジャンルもむさぼるように読んでいた。

そうしているうち、次第にわたしの好みが絞られていった。ふるいにかけていったのだ。
少女マンガでは、キラキラしたタカラヅカ風な華麗な世界や、外国の「キャンディーキャンディー」のお話よりも、自分は日常の生活のマンガが好みだと思うようになった。
乙女ちっくマンガの代表「りぼん」が、雑誌ではマイベストに確立された。(その後二十歳を過ぎた頃まで購読は続く。)
「りぼん」発売日の月初めが待ちきれないほどだった。
付録も手提げ袋やレターセットなど、かわいくて実用的で楽しみだった。
(田舎に本屋さんはなかったが、雑誌もついでに扱う商店が存在していたのだ!)
自分より年上の高校生や大学生の生活や恋愛のマンガは、夢と憧れであり、将来手に届きそうな世界でもあったので、わたしにとっては「教科書」のような存在だった。
小5くらいの時、本屋さんで陸奥A子の傑作集である「単行本」を見つけた時は、「これよ!わたしが欲しいのは!」と震える思いがした。
浜省の「終わりなき疾走」♪15の時 通りのウインドウに飾ってあったギターを見た時 稲妻が俺の背中駆け抜け~♪の気持である。
雑誌は保存が難しいので、好きなマンガは単行本で大切に残すようになった。
今でも「陸奥A子シリーズ」は、宝物である。⤵

母のえいこさんは、池田理代子の「オルフェウスの窓」などを「長編で面白いんじゃない?」と勧めてくれたが、「読まないことはないけど…なんかちがーう!」と思っていたのだ。
「エースをねらえ」や「ガラスの仮面」なども、然り。
「陸奥A子」のマンガのストーリーなんて、ただの主人公の生活の1コマに過ぎない。
「なにがおもしろいの」と言う人もいた。
でもその中の世界にわたしは多大な影響を受けた。
主人公の服装やお部屋、暮らしぶりを見るのが好きなのだった。
中学から高校にかけても「陸奥A子」ブームは続き、「こんぺい荘のフランソワ」の絵描き羽衣楽子が着用している白い「つなぎ」服を、父親が行く車屋に頼んで譲ってもらい、着ていると周りからへんな目で見られたりもした。
ねこの「タン子」の名前のルーツも、実はここからきている。
また、作画的には陸奥A子の定規を使わない手描きの線に、わたしは影響を受けていると思う。
ちなみに、わたしはよく「さくらももこ」の絵に似ているね、などと言われるのだが、さくらももこは、わたしが「りぼん」を卒業したと同時にデビューなので作画の影響は受けていない。
ただ、同世代なので「ちびまる子ちゃん」は自分のことのようだ…。
「ちびまる子ちゃん」の話を始めたら、これも長くなるので機会があればまた今度。
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