スポンサーリンク

こんにちは!ブッダ

わたしのこと

 センパイのおうちに伺って、持ち寄りランチ会をした。

わたしは、先月の帰省の際に立ち寄った高知の日曜市で食べた「田舎風そうめん」を再現して持参。透明の丸いフタつきパックに1人前づつ入れて、食べる時に冷たいつゆをぶっかけるスタイル。そして、甘辛く味付けした椎茸とうすあげも「田舎風」というところかな?

センパイはおむすびを2種類用意してくれていた。きゅうりの糠漬けと、かぼちゃの煮物とともに。

おやつも持ち寄り。わたしが「あんみつ」、センパイは「牛乳かんてん(みかん入り)」。偶然、お互いに手作りかんてんのおやつとなった。つるんとした喉越し。かんてんは体に良いからいい。

おしゃべりしながらお腹がいっぱいになって…とたんにわたしは眠くなった。「眠い…眠い…。」

その時、センパイのスマホに電話が入った。

どうやら孫のひなちゃんを、車で塾に送り届けなければならないらしい。「それではおいとましよう…」と腰を上げると、「すぐに帰ってくるから」とセンパイが言う。

う~ん、じゃあその間ちょっと横にならせてもらうわ…と図々しく眠たいわたしは、リビングの板の間に横になった。センパイはクッションをふたつあてがってくださった。扇風機も微風で当たるようにしてくださった。

他人のおうちでひとり、ごろりと寝転ぶわたしって…どうよ⁈と、自分に問いかけながら目をつむった。

…昨夜遅くに「しあわせの村」までももちゃん散歩に同行して、ももちゃんをいっぱい走らせたから…。わたしも疲れたのだ…などと考えを巡らせて、寝落ちすることはなかったが…身体がぐったりだった。

30分もしないうちにセンパイが、「暑い暑い…」と言いながら帰って来た。「ひなの友達も車に乗せて…なんとか間に合ったわ…」などと眉間にしわを寄せている。

そんなセンパイを尻目に、寝ころんでいた時から気になっていた和室の仏壇を近くで見せてもらうことに。…前にも書いたと思うが、センパイのおうちはすっきりと片付いていて、落ち着いた健全な暮らしぶりなのである。その要因のひとつにお仏壇の存在もあると見た。

小さくも大きすぎるでもない、お部屋にマッチしたお仏壇。その中の真ん中に「ブッダ(お釈迦さま)」がいた。

「おお…ブッダ…!」

覗き込むわたしに、センパイが「右が道元さん、左は…だれやったかいな」と、軽い感じで三尊仏の説明をしてくれる。

わたしはもちろん、仏壇を見ることは初めてではない。パパの実家にもあるし、実兄の家にはわたしの両親の仏壇もある(ご無沙汰)。でも、今までこうしてまじまじと見たことが無かったかもしれない。そしてなんとなく異空間の仏壇を「わが家に置くなんて…考えられない」とも思っていたのだ。

また、これまでの人生で仏像の類もあちこちで拝見している。京都のお寺を巡ったこともある。しかしながら…厳かで静かな雰囲気を味わうだけで、見ているようで何も見ていなかったと思われる。

センパイのおうちの小さなブッダ。

わたしはブッダに「こんにちは」と、初めてちゃんと顔を合わせたような気持ちになった。そして、仏様に「おじゃましています」と手を合わせた。…センパイは笑っていたけれど。

「おうちにブッダが居ていいな!」と、わたしは生まれて初めて思った。60前のこの歳になったからこそ、そう思えたのかもしれないが。

葬儀を経験した影響もあって…心を落ち着ける為、手塚治虫のマンガ「ブッダ」を読んだり、YouTubeで大愚和尚の「ブッダの教え」を聴いている。とても学ぶところがある。

…と言っても、宗教、信仰、信心…等に強い関心があるわけではないから、勧誘などは御免だ。今日までに広がった宗派の教えなど…訳が分からない。

ただ、開祖ブッダはこの世に生きた人間だ。

ひとりの人間の80歳までの生涯からの教えが今、わたしの心に刺さるのだ。

帰り際、おみやげにセンパイが北海道の富良野のメロンを分けてくれた。フルーツ好きのみのちゃんが喜ぶに違いない…。

西日に当たりながら帰途についた。おうちまで徒歩10分。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました