地獄とはこの世の事である。
先日の金曜日は病院受診の日だったので、読みかけの本を持参した。
今回は整形外科に加え、内科で血液検査も受ける故、病院での滞在時間は2時間を超えるだろう。そのほとんどの時間が椅子に腰かけて待たされる時間なのだから…読書には打って付けなのだ。
京極夏彦の「姑獲鳥の夏 上・下」は既に下巻、佳境に入っているところ。
約20年前に読んだ時は、面白い余りに「この先どうなる?」と気持ちが急いたこともあって、細かいところを流し読みしたきらいがある。なので今回は「?」と引っかかったところは後戻りして(例えば、脇役の登場人物の名前を忘れて「誰だっけ?」などとなるので)「ああそうか」と納得してから、丁寧に読み進めている。
だって、わたしの残りの人生を考えると…もう読み返すことはないと思うから。こんな長編小説…しかもシリーズ。気軽に何度も行けない長い旅なのだ。
診察の待ち時間のおかげもあって、昨日のうちに「姑獲鳥の夏」は5日間で読み終えた。

それと並行して、先日本屋さんで見つけた京極夏彦の「地獄の楽しみ方」という講座的な著書も合わせて読んだのだけど、そこでの京極先生の話は小説の中に既に反映されている。なので、わたしにとってはわざわざ読む必要はなかったようだ。
そう…。だからわたしが今再読しようとしている「京極堂シリーズ」は「地獄の楽しみ方、あるいは地獄の歩き方」と言ってもいいだろう。地獄とはこの世の事。辛い・悲しい・悔しい・怒り…心が擦り減り、傷つく日々の生活の事よ。
それを乗り切る術として、わたしは「京極堂」の助けを借りるのだ。″陰陽師の憑きもの落とし″をね。
まあ、簡単に言うと「知恵」をつけるということなんだけど。
さあ、次は「魍魎の匣」に突入よ!
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