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ボブ・ディランの映画『名もなき者』

本・映画・テレビ

 豆柴ももちゃんの体調が再び安定したので、予定通りパパと映画を観に行く。

先月末から上映している『名もなき者 A CОМPLETE UNKNОWN』だ。

シンガーソングライターとして初めて、2016年に『ノーベル文学賞』を受賞したボブ・ディランの若き日の姿を描いたもの。

ボブ・ディランは現在83歳…であるから、わたし達世代はその活躍ぶりを知らない。けれども、彼に影響を受けた数々のミュージシャンの中に浜田省吾もいるのだから、わたしとしては「知らない」では済まされない。

浜省を通して知ったボブディランの存在。…子どもの頃『ガロ』と言うフォークグループのヒット曲『学生街の喫茶店』で“ボブディラン~♪”の固有名詞は知っていたけれども。

その後『風に吹かれて』と『Like a Rоlling Stоne』は、浜省の曲の中のワードから学んだ。

♪お気に入りのLike a Rоlling Stоne…(ラストショーより)。

なので、今回の映画は「ボブ・ディランをLet’s study!」と言う気持ちで臨む。

朝一番の8時30分の上映(早すぎる⁈)を観ることにする。早く行って早く帰宅したいのは、わたしの体調があまりよくないから。このところ咳・喉・鼻の風邪引きなのだ。案の定…平日早朝とあって、客はまばら(15~20人くらい)で安心とするところ。

さて、2時間20分の映画はとても良かった。やはり音楽映画は劇場で観ないと!よね。

(ここからはネタバレ注意!)

伝記的な映画と言っても、前述のとおりボブ・ディランの20代の若き頃のお話。

このティモシー・シャラメ↑が演じるところのボブ・ディランがなんとも魅力的だった!ふわふわしていて藤井風さんのよう…。わたしは両者を“可愛い”と表現してしまう…(だってシニア割引きだもの)。

寝ても覚めても歌を作ることに没頭するボブ・ディラン。

彼はたちまち時代の寵児(ちょうじ)となる。

囚われずに自分の心の中を歌で表現することで、周囲(世間)に持ち上げられ、はたまた蹴落とされたりする…苦悩。(シンガーソングライターであるために)自分は自由でいたい(いなければならない)のに、束縛しようとする人々との葛藤。

ボブ・ディランの睨むような、それでも純粋な眼差しが印象に残った。

「アコギか?エレキか?」フォーク村のようなイベントでボブ・ディランはエレキギターを選んでぶちかまし、イベントをぶち壊した。歌うは『Like a Lolling Stоne』。

今までのフォークソングを期待し、新しいものを拒む客席から「そんなの違う!」と罵声が、物が飛んでくる。わたしもそれを受けた気持ちになり「ううう…」と泣いてしまった。それでも負けずに歌い続ける。どうやら、わたしの心の奥のフィルターにも世俗に対して“怒り・疑問・苛立ち”のような…蓄積されたものがあるのだった。

イベント場から逃げるように立ち去ったボブ・ディラン。

そして恩師や敬愛する人の元から、ひとり立ち去るボブ・ディラン。

そうしなければならなかったボブ・ディランのお話であった。

結局、ティモシー・シャラメの演ずるボブ・ディランにやられて(魅了されて)しまって…。本物のボブ・ディランを学ぶという課題は、“風に吹かれて”しまった感じ。

まあ、それでいい。ボブ・ディランという人は…名もなき者 A CОМPLETE UNKОWN=未知の存在の意なのだから。

映画の後、ふたりでランチを食べた。前日調べておいたパスタランチ。リーズナブルでパン食べ放題。パパはプチパン20個くらい食べた…。

ササッと帰宅したら、まだ午後1時半だった。

その後、しんどくなって寝込む。

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