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東京思い出に涙がでちゃう

家族のこと

 きょうもいいお天気♫なので、洗濯、掃除、片付けにはげむ。

バックミュージック代わりに浜省のブルーレイ映像を流すことにしよう。

どれにしようかな…、3年前の1月に行った東京のNHKホールのライブ映像にしようっと。

わたしが観た日の映像版なので、思い入れもひとしおだ。

 思い起こせば3年前のある日、わたしは腎臓結石の「石」が尿管に引っかかって激痛に襲われた。

激痛の腹痛から1ヶ月後がNHKホールでの浜省ライブで、すでにチケットをゲットしていた。

なかなか排出されず、「石」を持ったままの東京遠征となった。

腹痛の不安はあったものの、「中止」という考えがないのがわたしである。

 東京への旅は、みのちゃんがプロデュースしてくれて連れて行ってくれることになった。

職場のちーこちゃん達も、「這ってでも行く」わたしを心配してくれながらも飛行機に乗る寸前までメールで応援してくれた。

 羽田空港に着くと息子と孫が迎えに来てくれていた。

本当は息子ひとりのはずだったが、柱の陰に隠れた孫のいっぺいちゃんが、「わっ」と出てきてわたしを驚かせた。

幼稚園を休んで会いに来てくれたのだ。

ここからはみのちゃんとバトンタッチで息子が道案内をしてくれる。

空港の展望デッキで、いっぺいちゃんは離陸する飛行機と、ひとしきり一緒に全力疾走した。

のりものが大好きなのだ。

 渋谷に移動した。

原宿駅で降りて、代々木公園の横を3人でのんびり歩いた。

1月なので寒かったが、清々しく晴れた日であった。

5歳のいっぺいちゃんは、走ったり、立ち止まったり、うずくまったりして楽しげに歩いている。

その途中、交差点をマリオのキャラクターの扮装をしたマリオカートが数台連なって走って行くのに出くわした。

息子がいっぺいちゃんを抱えるようにして追いかけて、見せてあげていた。

NHKが見えてきた。

NHKホールの前の道端で「なりきり浜省」が、ギターを弾いてウォウウォウ歌っていた。

いっぺいちゃんは、拾って持っていた木の枝をタクトにして「なりきり浜省」の指揮をした。

 

 まず、ライブグッズ売り場でグッズを買った。友達のみほちゃんの分も買う。

いっぺいちゃんに浜省のツアートラックのミニカーをプレゼントした。

トラックの荷台の扉をいじって、「開いた!」とにっこりした。

 開場まで時間があるので、近くのファミレスに入った。

メニューを開いていっぺいちゃんは「何にしようかな」と言いながら、店員さんに「メロンソーダはありますか?」と、ちょっと目を細めて口をとんがらせて聞いた。

わたしは、息子とえりちんがどのようにこの子を育てているかが見えた気がした。

わたしよりもきっとじょうずに子育てをしているのだろうな、と思った。

息子は自分の大きな黒いリュックから、いっぺいちゃん用品を取り出し、いっぺいちゃんの世話をしながら「どうなの?」とわたしの近況を尋ねる。

息子が東京に出る前、よくふたりでカフェランチした時期があったなあ、と思い出す。

 いっぺいちゃんは「迷路」が何ページも描かれているドリルを持っていて、パパとおしゃべりしながらエンピツを動かしていた。家族の名前を書く練習をしていて、わたしの名前も書いてくれた。

わたしがアンパンマンの全身を描いてやると、ふたりは「おお」と顔を見合わせて喜んでくれた。

 開場の時間になりホール前の行列に並ぶ時間も、ふたりは退屈せずに一緒にいてくれた。

いよいよ会場に入る寸前で、わたしといっぺいちゃんはハグしてお別れをした。

いっぺいちゃんが「ばあば、どこいくの?」とパパを見上げて聞くと、「お歌を聴くんだよ。」と息子が答えた。

 ライブが終わって、浜省の歌声を身体に纏わりつかせながら、わたしは連れてきてもらった通りに代々木公園の横を歩き、原宿駅で電車に乗った。

息子が「ライブ終わった時間にまた来るよ」と言ってくれたけれど、ホテルまで近かったので地図は頭に入っており大丈夫だった。

みのちゃんも心配して迎えに行こうか?とラインがあったけれど断った。

……何だかひとりで歩きたかったのだ。

新宿駅について都庁を目指して歩いた。

みのちゃんが選んだホテルは都庁の前だったから。

(このホテル、浜省映像の新宿の風景に度々映り込むので、みのちゃんの選び方はナイスであった。)

わたしは夜10時過ぎの新宿のビル群を、下から見上げ立ち止まって思った。

恐いことなど何もない。

こんな幸せなわたしに恐れるものなど、何もない。

…そう思えて仕方がないのだった。

 こうして思い返すと、涙があふれるのはなぜだろう。

あまりにもあの日が幸せだったからか。

 

 

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