わたしは大阪で生まれ、小1の夏休みに四国の山奥に引っ越した。
なので大阪の暮らしの記憶は、7年間の幼少時代のうち3~4年程度である。
母とおでかけをする時、最初に出向いたお店でグリコのキャラメルの大箱か、不二家のミルキーの大箱を買ってもらうのがお決まりだった。
当時の大箱にはモールの取っ手が付いていて、わたしはそれをバッグのように手に持たされていたのだ。
それさえがあれば大人しく良い子でいられる…というお約束だったのだろう。
グリコは「おまけ」が楽しみだったし、ミルキーはペコちゃんポコちゃんの目玉が動いて、うれしい気持ち。
クリスマスを待ちわびるこの季節には、不二家のケーキ屋さんにお菓子がを詰めたブーツがたくさんぶら下がっていた。キラキラした赤と銀のブーツ。
大きいブーツから小っちゃいブーツまで。あのひとつがもらえたら…どんなにうれしいだろうと思った。
ジングルベルの音楽とキャンディーのような電飾がチカチカ、チカチカ不規則に点いたり消えたり…。
そんな光景が、大阪でのクリスマスの思い出。
引っ越した田舎の家でも、母が買った「クリスマスツリーセット」があって飾りつけをした。
子どものためというより、母が飾りたかったようだ。
折り畳みの偽モミの木を広げて、小人のサンタやトナカイ…かわいいオーナメントをひとつずつぶら下げるのは楽しい。
仕上げに雪に見立てた綿を枝に乗せて、チカチカする電飾をつけるのがうれしかった。
暗闇で光るサクマドロップスのような輝き…サンタクロースのいる世界。
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毎年デコレーションケーキも買ってもらい、その美しさにテンションが上がるわたしだった。
いつもピンクのバラの花や砂糖菓子のサンタさんを乗せてもらったけれど…わたしはそんなに食べられなかった。その頃は知らなかったが、バタークリームのケーキだったから。
食べられなくても、やっぱりケーキはうれしいのだった。
とにかくクリスマスの飾りや雰囲気が幸せだった。
現在。
もうここ数年ツリーは飾っていない。ねこ達がいるから…あればひっくり返されるだろう。
クリスマスの飾りは、玄関ドアに飾るやつと昔ながらの電飾。
そう、子どもの頃のキャンディーのような電飾だ。30年以上前に買ったやつ。
今はどこもLEDになってしまったが、LEDはあまり好きでない…冷たい光だから。
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