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改めて「衣食住」を考える

暮らしのこと

 葬儀と先々週の法事で、違う環境に身を置いたせいか…。

改めて、自らの「生活」に目を向けている今日この頃。

生活の基本の3本柱は、衣・食・住である。

「衣」のこと。

四十九日法要の際には、義母の古い洋服の処分に携わった。

義母は身体を悪くして10年以上、身辺の管理などが困難となっていたのだろう…。たくさんのタンスの中に、かつて元気だったころの洋服が無造作に詰め込まれたままの状態となっていた。

動物と違って人間は服をまとう。現状は犬ねこの毛皮のような大事な働きなのに、タンスに残されているのはへびの抜け殻のような状態の洋服たち…。ポリエステルやナイロンのしゃらしゃらとした素材が尚更、抜け殻のように思えた。

お義母さんはこれらの洋服を、どんな気持ちで購入したのだろうか…お気に入りがあったのだろうか…。この服は着倒しているから着心地が良かったのかもしれないな…。この服を着ているお義母さんの記憶があるな…などと思いに耽りながらの作業だった。…一通り目を通すことが洋服たちへの供養になるような気がしたのだ。

こうして遺品整理をするのは、実母以来…2回目となる。…切ない作業なのである。

わたしの母の洋服も、かなりの量だった。たぶん晩年は数着を着まわしていただけだろうのに「着ない服、捨てられない服」の多かったことよ。

元気に今を暮らすわたしは、これを課題としなければならない。

「食」のこと。

葬儀の時にしても法事の時でも「食事」はついてまわる。生きている人間は食べなければならないから…。食事には食器や調理道具も必要なので、場所が変わっても台所仕事の大切さを改めて思い知る。

そして、わたしたちの帰り際に親類の方々から、畑で採れた収穫物をいただくのだ。毎回…なんともありがたいこと。今回はじゃがいも、玉ねぎ、にんにく等。お米も!いただいた。

そんなこんなで、それらを使ってまじめに料理に向き合っているわたしなのだ。

もちろん年がら年中台所には立っているけれど、面倒くさい気持ちの時が…往々にしてあるじゃない?…でも今は「やる気」を持って向かっている状態…。

あのね、YouTubeで土井善晴さんの情熱大陸のやつがあってね、土井先生が料理しているのを見るのが面白いの。土井先生の力が抜けた素晴らしい手際。料理される食材が…土井先生に身を委ねている感じがする。…だって絶対に美味しくなる安心感があるもの。

そんな影響もあって、まじめにごはんを作ってるわたしだ。

「住」のこと。

田舎のパパの実家は、昔ながらのあけっぴろげな集会所のようで…ここのわが家とは全然異なる住処だ。わたしがもし嫁として入っていたとしたら…馴染めない、居場所がない「無理」な家だろう。広いけれど。

本来女性が持っている「巣作り本能」や、わたしの感性は受け入れてもらえなさそうな…家だ。

トータルで考えて、改めて自分の今の「おうち」を大切にしたい気持ちになった。

「衣食住」に改めて向き合っていきたい。

のんきなブサカワ…グーグー。⤵

わたしの犬ねことの暮らし。

思いがけず…牧野富太郎コーナーができてしまった。⤵ わたしのパソコンデスクの様。

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