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「食べること」の呪縛

食のこと

 回想。

田舎のパパの実家に帰省し、皆で食事をするシーン。

例えば夏の朝ごはん。

食卓にごはんとお味噌汁、お漬物や昨夜の残りのおかずが並んでいる。

縁側のサッシを開け放ち…清々しい空気の中、皆で囲む食事は何でもないメニューでも、なんだかキャンプの時のように美味しく感じる。

食べ終わった者が各自「ごちそうさま」と言うと、義母が「よう食べよ⁉」と声をかける。一般的な「よろしゅうおあがり」という返し言葉の変形か…。

この義母の「よう食べよ⁉」を幼少の頃から言われ続けてきたパパは、わたしにも言って欲しいと思っている。きっとパパにとっては、母の愛に満ちた耳に優しい言葉であろうから。

でもその返し言葉、可愛げのないわたしには言う事が出来ない。だって、いつも食べ過ぎなくらい食べてるじゃないの。その上に「よく食べてね」なんて!言いたくない。言うもんか。

もう大きくならなくていいんだよ。

なので最近、真逆の「もう食べなくてもいいよ」の声かけをよくするのだが、それは「愛」ではないのか?パパにとって。…夫婦間がギスギスだ。

先日、何気に見ていたテレビ番組で、スーパーエイトの安田なにがしが、「毎日3度3度ごはんを食べなくてもいいんじゃないか…」と発言していた。

なんでも彼は「1日朝1食で、まあそれもね…皆で夕食を食べたら次の朝は食べない…とかにして調整している」と、独自の食生活を述べていた。「みんなは、ごはんという概念に食べさせられている」とも。

「そうそう!それそれ!」とわたしは大きく相槌を打った。今そのような食事制限をしているわたしだから!

わたしら、もはや還暦を迎えようとしている年齢だというのに、(無知なせいで)世間一般がこうだから、それが当たり前だ…と騙されてはいないか?だって今まで常識だと思っていたことが次々と覆されて来たじゃないの。疑問を持とうよ。

「運動の最中は水を飲んではいけない」とか、意味のなかったうさぎ跳び、座高の計測、半裸の身体検査、体育のぴっちりブルマー…。最近では卵とコレステロールの関係。…思い出せばきりがない程、覆された事いっぱいあるよねえ。「がむしゃら根性論」もそう…時代は変化、アップデートしている。

また、「親に言われて、そのように育てられた」と、すでに親はこの世にいないのに洗脳下(呪縛)にありはしないか?

「よう食べよ⁉」の言葉の呪いで、この歳までしっかり言いつけを守って食べ過ぎてるのだと思うと…マインドコントロールの恐ろしさよ。「善意の洗脳(親の呪い)ほど恐ろしいものはない」というではないか。

何が正しいか何を信じるか…は人それぞれ自由でもある。各家庭の習慣や方針を守ることも大切だろう。

でも、今までぼんやりやってきたことを「あれ?」と立ち止まって、自分の頭で考えてみると良いと思うのだ。

コストコに行ってきた。…食べ物がいっぱい…。

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