おとといマルベリー(桑)の実の話を書いた。
野生の桑の実を食べていた、と。
他にも、野いちご、木いちご(赤いの、黄色いの)、秋にはアケビ、山栗、山梨もかじったことがある。
「これ食べられるよ」と、そのつどそのつど周囲の人に教えてもらったのだ。
田舎暮らしは7歳から急に始まったものだから、都会生まれのわたしは学ぶことがたくさんあった。
でも時代は高度経済成長期、それらをわざわざ「おやつ」にしなくても別によかった。
わたしは好きなお菓子も買って食べ、それらを見つけたら食べた。
……わたしも成長期だったのだ。
山奥の暮らしは恩恵もあったけれど、厳しさや恐ろしさもあった。
子供だったからこそ、受け入れられたのかもしれない。

父親の趣味が狩猟であった。
川で「アマゴ」を釣ったり、ワナを仕掛けて「ウナギ」を獲ってきた。
冬の猟期が解禁になると、鉄砲で鳥やウサギを獲ってきた。
今思えば、父親は都会で暮らすよりも、そんな生活が良かったのかもしれない(知らないけど)。
なので、当時わたしの食事のたんぱく源の50%は、父親が狩猟で得たものでなかったか。
アマゴ(田舎では「アメゴ」という)は、毎日のように塩焼きで出てきて飽き飽きした。
文句を言わず食べたので、父親はご満悦だったろう。
見かねた母が身をほぐしてコロッケにしてくれた時はうれしかった。
夏はウナギ。庭先で炭火焼きのかば焼きにされた。
さすがにお腹の黄色い天然のウナギの味は、今でも忘れることができないでいる。
冬になると積雪で、買い物に出られなくなる。
そのためにいろいろな保存食を備蓄してあるのだが。
狩猟は父親の趣味を兼ねた食料確保の手段となる。
鉄砲で仕留められた獲物はいろいろだったが、「ヤマドリ」がいちばん多かった。
ついで「キジ」、あとキジバトやらその他の小鳥たち…、野ウサギ。
手先が器用な父親が庭先でさばいて、肉を母親に手渡した。
ヤマドリ、キジは、白菜等とすき焼き風に料理された。
毎日続くので飽きるが、厳しい冬の季節に温かい鍋料理を家族で囲むことを幸せに思った。
キジバト以下の小鳥は七輪で炭火焼きにされ、甘辛の焼き鳥となった。
わたしは小鳥を骨ごとバリバリ食べて、父親はさぞかしご満悦だったろう。
野ウサギもすき焼きにされた(固くてあまり好きでなかったかも)。
最近は「ジビエ」と言われて、野生の鳥獣の肉がもてはやされているようだ。
たしかにどれも脂身が無くて、ヘルシーな肉であった。
しかし…懐かしくもう一度食べたいとも思わない。
もし父親が生きていたら、そのような珍しい食材を食べさせてやった、などと言うんだろうな。
わたしはきっと口ごもる。
…サバイバルな暮らしは嫌いだ。


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