輪島の塗師、赤木明登さんをご存じだろうか。
輪島塗のことは、わたしはよくわからない…。本物は高価だろうから手が出ない上に、模様が入った豪華な物は…身の丈に合っていないとも思う。
でも、赤木明登さんの塗り物は素人目で見ても…素敵。普段に使えたらいいなあ…と思い憧れる代物だ。
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漆器のことはさておいて、興味があるのは奥さんの赤木智子さんという人。
婦人画報の編集者だったご主人、赤木明登さんが急に「職人になる」と言い出して、東京のギャラリーのおねえさんだった智子さんは能登に移り住むことになった。かれこれ36年前の話。
そんな能登での暮らしぶりは、雑誌などでもよく取り上げられているみたい。本もたくさん出されている。わたしが持っている本は、昔の「ぬりものとゴハン」「赤木智子の生活道具店」など。
センス良く、生活を楽しむ智子さんは、可愛らしく魅力的。
載っている写真で目を引くのが、家の玄関入口に積んである薪の景色。それと古くて大きい水屋箪笥(食器棚)。
そんな奥能登での山小屋暮らしはマネできないけれど、良い物、好きな物がちゃあんとわかっている人の暮らしぶりは、とても興味深い。
こんなおうち。⤵ 薪ストーブ用の薪がいっぱい。
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元日の大地震。真っ先に頭に浮かんだのが赤木智子さんだった。たしか能登半島のこの辺…おうちや工房は?大丈夫だろうか。
大橋歩さんが智子さんに連れてってもらっていた輪島朝市は無残に焼けてしまった…。その時の写真が載った歩さんの雑誌「アルネ」を引っぱり出して、悲しく見たことだった…。
しばらくして、もしかしたらインスタグラムがあるかもしれない…と調べてみた。あった、あったと早速フォロワーになった。久しぶりに拝見する智子さんは、孫が生まれておばあちゃんになってるみたい。わたしより2つ上。
地震が起きてからの大変な事も、日々投稿されている。
あの玄関出入口の薪が崩れていた。水屋箪笥は引き戸なので中の器は無事だったそう。でも台所はぐちゃぐちゃ、仕事場は漆の海…で、真っ黒に流れていた。
片付けや不便な生活がやはり大変そうだけど…智子さんの心の豊かさは無事だった。
智子さんの目を通して、今後の様子を教えてもらうことにする。
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