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ベムとパクのはなし

猫のこと・犬のこと

 わたしが小学校1年生の夏休みに、親の故郷の山奥に引っ越したことは、前に書いた。

新しい住居は、伯父が所有する倉庫のような建物を住居に建て替えた、青い瓦屋根の小さなおうちだった。

それでも新しい木材や畳の匂いがして、それはワクワクするうれしい匂いだった。

同時にもうひとつうれしいことに、1匹の仔犬を飼うことになった。

伯父の家で飼っているジョンという犬が子どもを産んだらしく、そのうちの1匹を父がもらってきたのだ。

ふたつ上の小学校3年生の兄と、茶色だから「チャロ」にしようか…などと言っていたら、父親が「ベム」と名前をつけた。

ベムは雑種犬だが、動物図鑑の中の「柴犬」の絵にそっくりだったので、祖先は柴犬なのだろうと、わたし達は勝手に解釈した。

ベムは、キツネ顔に優しい黒目の美犬に育った。

そして、すぐに大人になって赤ちゃんを産んだ。

わたしが学校にいる間に出産したものだから、家に帰って生まれたての犬の赤ちゃんを見た時はうれしくて震えた。

1匹だけ?と聞くと「1匹しか生まなかった」、と父は言った。

わたしは、ベムの初めての大事なひとりっ子だから大事にしてあげなくちゃ、と思った。

父親がその娘犬を「パク」と名づけた。

父親は狩猟を趣味としたので、冬になるとベムとパクは猟に連れて行かれ「猟犬」となった。

山に連れて行かれることは、犬にとって大きな喜びのように見えた。

雪山を歩きまわってへとへとになった犬たちは、仕事を終えて満足そうにも見えた。

特に娘犬のパクは猟に向いているらしく重宝がられた。

一方ベムはというと…次第に置いて行かれることが多くなり、つながれたまま泣いていた。

どうして連れて行ってあげないのかと聞いたら、「ベムは賢すぎて猟に不向き」と言うのだった。

ベムとパクは、家の外にある父の手作りの犬小屋につながれていた。

鎖を外されるのは、猟の時や、家族で山の中にある田んぼや畑に出向く時だ。

ベムもパクもリードは必要なく、自由に行動を共にした。

山道を歩くのが遅いわたしがはぐれてしまっても、ベムは三角座りをして待っていてくれて、わたしはベムの首に手をまわし香ばしい匂いを嗅いで安心した。

田んぼや畑に行かない日は、鎖を外して自由にさせる時間があった。

昔の田舎の犬の飼い方はそういうものだったのだろう。

そんな中、パクがよその家の「かわや」に落ちて死んでしまった。

ショックな出来事だった。

父は猟の相棒を亡くした。

わたしと兄は、賢いベムを特にかわいがった。

雷が鳴って嵐になると家の中に入れてやろうと、どちらからともなく言い出す。

父親に家に上がってはいけないと厳しくしつけられているものだから、ベムは絶対に入ろうとしない。

たらいを持って来て、その中に座らせて3人並んで一緒にテレビを観た。

名犬ラッシーだったろうか、犬の画を見てベムが「おん!おん!」と吠えて、わたしたちは笑った。

雪が積もる寒い夜はお風呂の焚口がある土間に入れて、ダンボール箱を与えた。

朝、行ってみるとベムがいない!と思ったら、狭いお風呂の焚口から侵入して釜の下にもぐりこんで灰だらけになっていたのだった。

優しいことばかりをしたわけじゃない。

遊び相手に、ひどいこともした。

川に放り込んだり、ソリを引かせようとしたり…。

その時ベムは逃げて帰ってこなくなって、わたしは「悪いことをした」「嫌がることをした」と実感した。

それでもしょんぼり家に帰ってくるベムの姿が、今でも目に焼き付いている。

中学3年の時の夏休みの宿題の絵にベムを描いた。

死んでしまった娘のパクも思い出して寄り添わせた。

この絵には「ごめんね」の気持ちが込められている。

だから、この絵だけはずっと今も持ち続けているのだ。

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ベムはわたしが高校1年生の時に、死んだ。(…と聞かされた。)

わたしは高校の寮に入っていて、気持ちが家庭から離れていく時期でもあったので、ベムの死もまるで部外者のような気持ちで受け止めた。

10年間家族の一員だったベムは幸せだったろうか…と考えると、わたしは胸を掴まれる気持ちになる。

管理責任者は父親であって、子どもだったわたしは責められないかもしれない。

だけど…。

今考えると、ごはんも人間の残り物で満足に与えられていなかったと思う。

鎖につながれっぱなしな上に、細やかな配慮が足りなかったと思う。

初めてパクを生んだ時、父は「1匹だけ生んだ」と言ったが…本当だろうか?

その後も、何度もベムもパクも赤ちゃんを産んだが、わたしの知らない間にいなくなっていたではないか。

避妊手術をする動物病院などなかったから…山や川に捨てられたのだ。

…あらゆる事を見て見ぬふりをしたわたし。

ベムが死んだ事も知らんぷりしたのだ。

わたしには犬を飼う資格はない。

犬はどんな飼い主であろうと真っ黒な目で見つめて来て、その気持ちが重く感じる。

…わたしは苦しくなる。

犬の忠実な話の映画、ドラマ、ドキュメンタリーでさえ、見たくない。

中島みゆきの「空と君の間に」という詞は犬目線で書かれていることはごぞんじか。

「君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる」のフレーズでわたしは涙が出る…。

一方、ねこは目力が強く媚びないところが、わたしには良かった。

以来、ねこ派のわたしだ。

なのにみのちゃんが犬を飼いたいという。長年の夢だと言う。

わたしは無理だと拒絶し続けてきたが。

「黒柴と赤柴どっちがいい」だの、スマホで仔犬の写真を見せられ「どの子がいい」だの迫られて、わたしは「ベム」にそっくりな子を「この子がいい」とうっかり言ってしまったのだ。

みのちゃんは「オッケー」とその子を選んだ。

「名前は何にする?」と名前も付けさせてくれ、わたしはまんまとぐる(仲間)に仕立て上げられた。

ベムによく似た豆柴ももちゃんは、みのちゃんによって大事に育てられている。

みのちゃんのももちゃんへの配慮は感心するほどで、わたしには到底できることではない。

病院やドッグランに連れて行ったり、毎日こまめな散歩。

ももちゃんは幸せそうで何よりだ。

そのサポートをするのがわたしの役目であって、しゃしゃり出ることはしない(できない)。

「ももちゃんはみのちゃんの犬」だ、と割り切ることにしている。

そんなわたしだけど、ももちゃんはもちろんかわいい。

ももちゃんの首根っこに顔をうずめて匂いを嗅ぐと、香ばしい匂いがする。

…あの時のベムと同じ匂いがするのだった。

コメント

  1. みずかみ えいこ より:

    ベムとパクのはなしを読んだら胸がちょっと苦しくなって泣いてしまったよ。今、犬を飼っているのもあるけど、昔飼っていた猫の事思い出した。子どものときいろんな事情で孤独だった私にいつも寄り添ってくれてたんだなぁと大人になって気がついた。私が高校卒業して家をでたらミケも私を探しに行ったかのようにでていってしまっていて、夏休みに帰省したらどこからともなくボロボロになって帰ってきた。そのあとしばらくして死んでしまったらしい。
    家にいなかった私はミケの死を悼む事も思い出す事もしなかったなぁと心が傷んでます。
    だけど、まなみのおかげで久しぶりに思い出してあげられて良かった。ありがとう。
    ベムとパクの絵ほんとうにやさしい目をしていてまなみの犬に対する気持ちがすごく伝わるいい絵だね。

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