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地震報道とメンタルヘルス

わたしのこと

 おうちにいると、能登半島地震のニュースが気になる。

過酷な被災地の様子…。わたしの気持ちがそこに飛ぶ。

 わたしは29年前1月17日夜明け前、阪神淡路大震災で大きな揺れに遭った。

激しい揺れと騒動…その一方で空から雪がちらちら…静かな朝。

子ども達は7歳と4歳。みのちゃんはサンタさんにもらったセーラームーンのおもちゃを、一時避難した車の中にも持参していたっけ。「おしえてセーラームーン」っていう、ひらがな学習のやつ。

けれど、住んでいるこの付近では家屋の倒壊も無く(家の中はぐちゃぐちゃだけど)被害は少なかった。が、パパは三宮の職場を失った。

そして、ガス・水道のライフラインの停止やらの経験をした。(電気は…止まってなかったように記憶する。テレビのニュースを見たし、パパがウーロン茶でお米を炊いたから。)

寒々しい異様な雰囲気のいつものスーパーは、欲しい物は売り切れで…レジは大行列。しょんぼりと仕方なくケーキ屋さんでケーキを買ったのは覚えている。すぐに食べられる物が欲しかったのだと思う。

地震の日の夜からパパを筆頭に次々と家族4人がインフルエンザに罹患したので、当時の記憶があまりなく…断片的な記憶ばかり。(時系列がはっきりしない。)

落ち着きのないバタバタとした病院は、なにやら医療品不足を訴えていて…それでも高熱のわたし達夫婦は点滴を打ってもらえた。

寒い中、浄水場みたいな所に水を汲みにも行った。指先の冷たさの記憶…。

トイレは…バケツの水で流す方法で…何とかなったと思う。

…その後、逃げるように高知の田舎に帰省(1週間ほど)。4~5日ぶりにお風呂に入って洗髪したら、シャンプーを何回しても泡立たなかったのを覚えている。

悲観的にもならなかったのは、夫婦ともに30歳と若かったから…。インフルエンザと同じように、やり過ごすことが出来たのだ。

 今回の地震は能登半島という半島で、場所によって被害が様々に及ぶことを思い知る。救助も困難を極めている…1週間が経っても全貌が明らかになっていない。…被災者も救助者も過酷この上ない。

そんな状況なので…ニュースが気になるのだが、気持ちが引っ張られてしまい…精神的によろしくない。わたしのようなメンタルの弱い小心者は、パアッと外に出た方が良いのだ。

ももちゃん散歩に同行することにした。

今までに行ったことのない「やしろの森」という公園へ。日差しは暖かいが、風が冷たい~。

凛々しいももちゃん。⤵ 「謹賀新年!」と言っている。

冬の枯れ葉てた森林の中にも、鮮やかな黄色や赤色が落ちていた。自然の色。

ヘドロを擦り付けてしまって、へこむももちゃん。帰ったらお風呂にGO!だ。⤵

好きな時にゆっくりお風呂にも入れて…ありがたいことだ。

外に出て山を歩いて…気分が少し晴れた。

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