小さい頃から母の助手のように「お手伝い」をしていたわたし。
でも母は家事をしながら、いつも何やら考え事をしていることが多かった。
独り言をよく言う人だった…(なんだか嫌だった)。
だから、わたしは母の世界に入らぬよう、おとなしく手伝いをしていたように思う。
学校以外では近くに遊び相手がいなかったので、退屈しのぎに母につきまとっていた、というのもある。
洗濯、掃除は母のやり方を真似て、炊事は簡単な作業を手伝った。
編み物や縫い物をしている時も、要らない糸や布をあてがわれて見よう見真似でやってみた。
母は教育ママではなかったので、わたしに何かを熱心に教えるということはなかった。
たぶん「教える」のは精神的に苦手な性格だったと思われる。
それでも、たまに「ここはこう」とか「これをやってごらんや」と目を向けてくれたらうれしかった。
小さい頃は親が手本だから、素直にそれを真似て言う通りにしていたが、中学も過ぎて高校生くらいになると「あれ?」と疑問に思うことが多くなってきた。
視野が広がり知恵がついて(マンガのおかげか?)、自分の「暮らし」や「生活」、はたまた「家族」のあり方までが「なんか違う」と思うようになったのだ。
親にしてみれば「反抗期」ととらえただろうが、冷静に考えても「今の家族」から抜け出さないと、わたしの明るい未来はないような気がした。
親にしろ、近所の大人にしろ、学校の先生にしても、信頼できる大人がわたしの周りにはいなかった。
外面ばかりよく見せる、噓つきの大人ばかりが目に付いて…がっかりのわたし17、18歳。
そんな大人になりかけの頃、イラストレーターの大橋歩さんの存在を知った。
当時大橋歩さんは「ピンクハウス」のブランドのイラストを描いていたのが有名だけど、エッセイ等の書籍も出されていた。
大橋歩さんは、わたしより24歳年上で、なんと母と同い年。
第一線で活躍する歩さんだけれど、エッセイに書かれている内容は、自身の身の上や、悩み、恋愛、夫婦、家庭の話で、思ったより庶民的で親近感があるものだった。
母と同じ年代なのだから、戦後の貧しさや家庭内の苦労は似通っているのに、どうしてこうも違うのだろう…と、自分の人生を生きない母と歩さんの、生き方の違いにショックを受けた。
歩さんは背丈も小っちゃくてコンプレックスみたいだけど、それを上回るセンスの良さで、とても可愛らしくおしゃれ。
また、仕事や世の中の事を鋭い感覚で見ながらも、文章はおしゃべり口調でゆるいし、本の中のイラストも可愛らしくて…大好き。
ファッション、インテリア、料理、生活のだいじなあらゆる事を教えてもらい、長きにわたってわたしを支えてくれている(現在進行形)。
わたしが30歳の時に母が亡くなった。
それからは、年を重ねる歩さんの本を手に入れる度、同い年だった母の事を考えた。
母ができなかったことを、わたしが代わりにしよう、そう思って生きることにした。
それは「楽しい」とか「うれしい」とか「すてきー」とか、「気持ちいいー」とか、そういう単純な事だ。
自分がごきげんになることを、する。
歩さんはエッセイ本以外にも、「アルネ」という雑誌を自分で作って発信を続けてくれた。
500円ほどの小冊子だけれど、すてきな雑誌で今も大切にしている。
わたしの本棚の中で1番多いのが大橋歩さんの書籍だ。
歩さんは82歳になるが、インスタグラムも発信してくれるんだよ!すごくない?
わたしの「師」や「尊敬の対象」は2次元の中の存在であることが多く、そこからの影響を受けることが多い。
いつまでたっても夢見る夢子のように「ステキー」だの「かわいいー」だの言っている。
それはいけないことなのだろうか。
わたしの食器棚の一部を公開。
中央の白いカップは大橋歩さんのデザイン。ソーサーも付いていたが割れちゃった。(約40年前の物)
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