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朝からピリピリする夫婦

家族のこと

 今朝はゴミの日なので、家の中のゴミを収集する。火・金の(燃える)ゴミの日は「ゴミというゴミはひとつ残らず出すぞ!」という意気込みで、あちこちうろうろするわたし。

常日頃から“要らない物は処分”とピックアップしているから『ゴミの日』はそれらを手放し“さようなら”する、清々しいリセットの日なのだ。(もちろん、ゴミは少ない方が望ましいが。)

台所もチェック。

賞費期限切れの食品なんて…もってのほか(そうならないように努めている)。

ももちゃんのフード…いくつか開封したままのがある。みのちゃんに聞いてから処分。いつも全部食べきれなくて処分することが多いけど、これは仕方がない。

見て。台所に初めて(!)キッチンマットを敷いてみた(足元が寒いから)。⤵

ピタッと張り付いてズレない、何枚でも足せる、その名も『ピタプラス』。キッチンマットは、これまで気に入ったのが無かったけれど、これは良い。

4色ある。⤵

ああ、そう言えば昨日…滅多に開けない洋服ダンスに見かけない袋を見つけたんだった。バッグインバッグの黒いメッシュ袋に風邪薬の瓶が透けて見えてた。パッと見て、パパが職場のロッカーに入れていた物だろうと分かった。…なぜ、こんなところに押し込むかなぁ。

今朝、それをパパに「これなんだけど…」と取り出して見てもらった。「要らない物があったら捨てて?」と。

「あ、要るから置いといて」とパパ。「そんなことはないやろ、全部出してみなよ(どうせゴミだろう)!」とぶちまけるわたし。

中身は瓶と箱の風邪薬2種、誰かにもらったお菓子の包装紙のくちゃくちゃ、ウエットシート、汚いハンディコロコロ、メモ帳、爪切り…等々。

「置いといて。いつか使えるから」と眉間にシワのパパ。出た…“いつか使える”これは物が捨てられない人の、お決まりの常套文句!である。捨てられない=捨てたくない(もったいない)、のだ。

また、もしかしたらそれらはパパにとって、ふわっとした思い出の品なのかもしれない…。

『他人の物を自分の判断で捨ててはならない』のは、断捨離や、お片付けビフォーアフターやら見ていて十分承知している鉄則だ。でも、そのまま放ったらかしのパパである。引き出しなどのパパコーナーは定期的に一緒に、わたしが手取り足取り“要る要らん”をしている現状。

だけど今回、パパの出勤前というのが悪かった。朝から“要る要らん”をしたくなかったのだと察する。そして、わたしが疎ましかったに違いない。袋から中身をぶちまけたのも暴力だろう。

でも、わたしとしてもゴミの日だったから容赦が無かった。メモ帳と爪切り、ハンディコロコロ以外、紙類は全捨てだった。薬は薬箱にと思ったが…よく見ると消費期限が1年以上切れていたし。

パパを45年観察して来たが、物を大事にしない人だと知っている。「I Know Him So Well.」

物を大事にするのは、ただ捨てないことだと勘違いしている。手入れをしない物は腐ったり死んだようになってしまうのに。

わたしは物には役目があり、“気に入る・気に入らない”もあるからして、ひとつひとつ命があるように思っている。ずっと愛でて大事にするも、始末をつけるも、しなければならぬと。

ことし5月の、田舎の義母の三回忌法要を思い返す。

ご先祖様の仏壇の隅の見えないところに、ろうそく・お線香用のチャッカマンが7個…置きっぱになっていた(おそらく何年も)。義母の祭壇にも3つ4つ用意してあった。だけれど、それらはどれも火が点かないのだ。カラッカラなのだ。何回かカチカチしたら運よく1回は火が点くかも…と置いてあるのか?…結局「ライター、ライターないの⁈」と探すはめに。法要当日の話。

パパは、そんなゴミ屋敷寸前の兄夫婦を蔑んでいるけれど。

パパは、一緒に断捨離の番組の(問題過多な)おうちを見て「うわあ!これはいかん…!」なんて(自分はさもちゃんとしているみたいに)蔑んでいるけれど。

あなたもその仲間ですよ…。わたしが捨てて管理しているからですよ…と言いたい。

そして、そういうわたしだって。何らかの理由で日々の掃除・お片付け、ゴミ出し諸々が出来なくなってストップしたら?…恐ろしいゴミ屋敷になるのは時間の問題。それはあっという間よ。

それだけ、わたしたちは不要な物(ゴミ)を次々と生み出して生活している…という事。現に、お正月とかゴミ収集が休みになると大量のゴミになるじゃない。災害の時も然り。

定期的に収集してくれる事にも感謝しなければ。

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