銀色夏生の本を読んで暮らしている。
「つれづれノート」という日記、エッセイのようなもの。
この春に出たのが41巻で、30年以上も続いているシリーズ。
気軽な気持ちで、楽しくおしゃべりをするように読んでいる。
わたしが銀色さんの作品に出会ったのは20歳(はたち)の頃と思われる。
最初は、本屋さんで見かける「銀色夏生」という名前のインパクトだけが、強く頭に残っているくらいの存在。
メルヘンな感じ?って思っていたから、そんなに興味は持たなかった。
銀色さんは当時、作詞家、詩人として活動していたようだ。
わたしは高校卒業後、ある会社に就職し、同時に夜間のデザイン学校(2年制)に通うことになった。
その会社の寮に住まい、昼間は工場で働いて夕方から学校に行くという生活。
同期生は、わたしを含めて6人。
みんな田舎から出てきているから、会社の学校に通わせてくれるバックアップ体制(送迎など)がありがたかったのだ。
うち4人は短大に通い、デザイン学校に通うのは徳之島から出てきた「みー」とわたしの2人だけだった。
「みー」は可愛いルックスだけれど、気さくで男前なところがあってすぐ好きになった。
しかしながら、昼間働いて夜学校というのは、なかなかのハードスケジュール。
授業は夜9時までだったけど、毎日科目ごとの課題が出るので宿題に追われる日々。
週に3~4日は徹夜で絵を描いたものだ。(仕事中や電車の中で眠った。)
「みー」とは寝食を共にする濃い日々を送った。
また学校の違う同期4人も仲良くしてくれたから、今思えば楽しい寮生活の2年間を送ることができたと思う。
夜間コースの大半の生徒が辞めていく中、なんとかぶじに卒業できたのは「みー」が一緒にいてくれたからだと思う。
「みー」は絵で食べていく覚悟があったので、卒業したら東京に行くと言った。
卒業後「みー」が東京へ出発する日、わたしは駅まで見送りに行った。
いつも一緒にいた「みー」が遠くに行ってしまうのは…寂しかったよ。
でもわたしは絵で食べていく自信も覚悟も無かったし、高校から付き合っている(パパ)がいたから「みー」がいなくなっても本当は寂しくは…なかったのだ。
「みー」にはそれがわかっていたのだと思う。
駅で「みー」に手を振った時からずっとある歌が頭の中で流れていて、その後しばらくはそれを聴きながら泣いてしまう日々だった。
その歌は大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」という歌。
「みー」と一緒によく聴いた歌…(きっかけは忘れたけど)。
ヒットしてザ・ベストテン初登場2位になった時は、ふたりで飛び上がって喜んだ。(ベストテンに出るぞ出るぞ…とテレビにかじりついていたのだ、授業サボって。)
わたしは当時すでに浜省がBGMだったから、その歌は「みー」との歌。
この前YouTubeで観たら、やっぱり切ない気持ちになった。
そして、いい歌。
その「そして僕は途方に暮れる」の歌詞を書いたのが…。
なんと銀色さんなんだよ。
60を過ぎた銀色さんは今、故郷の宮崎に帰って庭を造ったり、畑で野菜を作ったりしてる。
そんな日々の暮らしを伝えてくれるのが「つれづれノート」なの。
コメント
久しぶりに私も短大の時や帝化で過ごした頃を思い出してなつかしくなったよ。😊たったの2年間だったのにすごい濃い日々だったなぁ。忙しかったけど、楽しかったし、いろんな出会いがあって良かった。まなみとみさえちゃんがよく大きい荷物持って学校行ってた記憶が蘇ってきたよ。
ホントに頑張ってたんだね〜。
あの頃があったから今の私達がいる。私の頭の中にも大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」がスッと流れている。
銀色夏生ってなんか作詞家のイメージだったけど、今度本読んでみようかな〜。
お互いに夏バテしないように、身体にきをつけてようね。