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「あの夜」のこと

わたしのこと

 今朝の5時前くらいだっただろうか。

夜が明けない真っ暗な暗闇の中、ハッと目が覚めた。

腰が痛くて寝返りをうつことができない。イタタタタ…、でもまあそれは腰を悪くしてから度々あることで、枕元の痛み止めの薬を飲んで、引き続き眠ってごまかすのが常だ。

が、きょうはハッとあの夜を思い出してしまった。

あの夜とは右手骨折の手術をした病院で過ごした「あの夜」の事だ。

 入院したのは骨折から4日目の10月15日。ギプスの右腕は、指先から肩までパンパンに腫れあがっていた。

わたしは、手術も2~3日の入院も前向きな気持ちで臨んでいた。

もちろん全身麻酔での手術は怖いし不安な気持ちはあるが、早く右手が使えるようになりたいという思いが強かった。

家事が思うようにできない上に、自分の身の回りのことも手助けしてもらわないといけないのは情けない思いだったから。

 ベッドはⅠCUに用意されていた。ⅠCUは寒々しいオフィスのような広い空間に、5,6台のベッドとたくさんの機器が並んでいた。看護師の詰所もある。仕切りのカーテンがあるものの、気持ちが落ち着く場所ではなさそうだ。

午後1時からの手術に向けて、わたしの身の回りの世話をしてくれる人が手術の準備をする。手術用の寝間着に着替えると、両足に窮屈なストッキングを履かせられた。指先が割れていて、思いのほか伸縮性がないので、その人は太ももまで履かせるのに「ウン、ウン!」と力を入れて大変そうだった。

すみやかに点滴に繋げるように、左腕に針も挿入された。

準備も整い時間になると、歩いて手術室に向かった。

別室に待機していたみのちゃんが笑って見送ってくれた。

手術室には4,5人の医師が待ち受けており、ベッドの上に乗るように促されたが、そのベッドは幅が50センチ程しかなく、落っこないようにそろりと上に乗った。

横になるとブルッと寒気がした。「寒っ!」と言うと、医師が「毛布、毛布」と足元にかけてくれた。

顔の上の眩しい照明を見ながら、少し会話して…わたしの記憶はそこからない。

 麻酔から覚めると、ガラガラとベッドを移動させながら、看護師さん達の「よく寝てたね~」なんて会話が聞こえてきた。麻酔してたんだから当たり前やん、と思ったらみのちゃんのことだった。

みのちゃんは別室で待機しており、そこの長椅子で眠りこけていて「お母さんの手術が終わったよ」と起こされたのだそうだ。(後日談)

再びⅠCUの病室に戻ると、寝ぼけた感じのみのちゃんがいて、わたしの顔を見て「じゃあ帰るで」と帰っていった。

身辺のお世話をしてくれる看護師さんに、何時か聞くと「3時すぎ」だと言う。

「トイレに行きたい」と言ったが却下された。まだ行かなくてもいいみたいなことを言われた。

そこから夜に向かってわたしの「地獄」が始まったのだ。

 夕食が運ばれてきたが、食欲はあるはずもない。汁物だけ口にした。

点滴をしているのでトイレには頻繫に行きたくなる。加齢によるものか、すぐに行きたくなる。その都度ナースコールを押して機器につながっているものを外し、点滴を押しながら歩いてトイレに行く。

右手はもちろん使えないし、左手も点滴と機器につながれているので身動きが取りづらいのがイライラする。はだけた寝間着を直すこともできない。

病室が暑苦しく感じるのは発熱のせいだろうか。とても息苦しい。扇風機…うちわでもいいから扇ぎたい。不自由な手で薬袋を使って扇いでみるが役に立たない。

とにかく窮屈なストッキングを脱がしてもらった。

もう眠ってしまって、辛さから逃れようと思うのだが、目を瞑っても脳が眠ってくれない。

暑い…息苦しい…眠れない…。心臓がドキドキして手足が冷たくなる。イヤな汗が出る。視界が狭くなる。

パニック症状がでた。

25年前から、自称「パニック障害」を持っている。

疲労がたまったり、閉鎖的な場所、場面で発作が出るようになった。

始めの頃は大騒ぎをして救急車で運ばれたこともあったが、何度も繰り返すうち家族の誰かが、「大丈夫、大丈夫」と手を握ってくれたりすると治るので、専門の病院にはかかっていない。

自分でもそのような状況にならないように、混んだ乗り物や場所、映画館など、避けるようにした。

10年くらい前からは、映画館も出入口に近い後ろの通路横なら安心できるようになった。

東京から新幹線でひとりで乗る時は、息子が心配をしてグリーン席を用意してくれた。

そうやって家族に助けてもらって、今はたいていのことは大丈夫になってきたのだけど。

 手術前の説明で主治医が「腹式の呼吸法を練習しといたほうがいい。」と言っていたのを、ここで思い出す。そういうことか…とにかく息苦しいのだ。身の置き所がなくて、寝返りをうったり、座ってみたり…。

暑苦しいのでアイスノンを何度も持ってきてもらった。ナースコール押しまくりである。

辛さをどうにか訴えると眠り薬を点滴に入れてくれたようだ。

目が勝手に閉じて身体が動かなくなったけれど、脳は眠ることが出来なかった。薬が効いたのもつかの間だった。

 看護師さんが「明日おうちに帰られるか先生に相談して、許可が出たら帰る?」と言ってくれたので、帰る!とウンウン頷いた。

 長い長い夜だった…。

となりのベッドのおばあさんが「おはようございます!起きました!」というので、やっと夜明けかと思ったのに、看護師さんに「しっ!まだ夜だから、静かに!」と小声で言われていた時は、わたしは愕然とした。まだ夜なのか、と。

 やっと夜明けが来て、看護師さんが大急ぎで抗生剤を流し入れてくれた。わたしが辛さから動き回ったので、点滴の針も刺し直さなければならなかった。

パパが迎えに来てくれて、持ってきたまんまの荷物を持ってくれた。本やおやつも準備していたんだけどな…。こんなことになるなんて思わなかった。

ⅠCUの看護師さん達が見送ってくれた。

おうちに帰ると、自由に動いて飲みたいものを飲んだ。

扇風機もつけた。

でもやっぱり息苦しさは残っていて、ねこのようにあちこち寝床を変えて横になった。

 今朝、腰が痛くて身動き取れなくてハッと思い出してしまった。

フラシュバックだ。

11月の再手術は、わたしには無理だ…。

悩んでいる。

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