自分は「HSP」気質だと認識している。
「HSP」とはハイリーセンシティブパーソンの略。「感受性が強く敏感な気質を持った人」の意味だ。
外からの刺激(音・光・味・匂い・皮膚感覚・気候・エネルギー等々)五感で受ける刺激に対して過度に反応する。また、相手の感情や雰囲気など発するものに対しても敏感で、深く情報を読み取る。
子供の頃を思い起こせば…フォークやスプーンのカチャカチャ金属音が嫌だった。母がまな板に残った物を包丁で「シャッシャッ」とこする音に耳をふさいだ。「それ止めて⁈」と訴えても「?」理解されることはなかった。
(たぶん添加物満載の?)食べ物の味や匂いに時々「ウッ」と違和感を持った。「変な味がする…」と訴えて「そうお?気のせい」とあしらわれた。
蛍光灯の灯りより白熱灯が好きだったり、自然素材が好きだったり…。あらゆる面で自分のテイストが明確になっていった。
日常生活の、そんな些細なあれこれに自分が過敏なのには気付いていたけど…だからと言って子供の頃はどうすることも出来ず、それはそれでやり過ごすことによって鍛えられもしたのだろう。
一方でそれはたぶん…良い面にも現れて、通知表には「感受性が豊か」と度々書かれた気がする。…でも、良い事より嫌な事の方が記憶に残るものだ。
自分が「HSP」という名の性質だと認識したのは、7~8年前か。スマホ内で診断テストがあって、やってみたら大いに当てはまった。
「HSP」は“5人にひとりくらいが持っている気質”で、“珍しいことではない”と知って、何やら合点がいったような…気持ちが軽くなったような気がした。それに“生まれ持った気質”なら、どうしようもないではないか。
「生き辛さ」のようなものがあっても病院に行くことも薬を飲むことも無く、これまで仕事も続けられたのは「HSP」の度合いが、わたしの場合そこまで高くないのかも知れない。
ただ、しんどい思いは度々としてある。周囲の人との関わり方から過度なストレス(疲れ)を感じてしまう。例えば、他人に対しての共感力が自己犠牲になってしまったりする。
近年は、家族に対しても要らぬお節介を手放すように心掛けるようにしている。ちなみにパパはわたしと真逆の(鈍感な…)性質なのだ。先日も嚙み合わない会話の中、「どうしてそこまで考える??」と言われて脳貧血で倒れそうになった…。
まぁ、だからこそ伴侶に選んだのだろう…。「HSP」同士だったら辛かろう。逆に鈍感×鈍感も…面白味のない夫婦になるだろう。
「HSP」は、感度の高いアンテナを常に張っているようなものだ。
それは読書や映画・テレビ鑑賞など芸術においては、より楽しめる性質だと思うし、他人の話を自分事のように聞いてあげられる能力も大切な事だと思う。…なのでアンテナは張っておきたいとは思うのだ。
自分を上手く操縦して…生きて行かねば。「鈍感力」も学びつつ。
わが家のカトラリーが「木」なのも、カチャカチャ金属音が嫌だからよ。⤵



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